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OK! インタビュー☆ダニエル・クレイグ:『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』 Vol.4 | セレブリティーライフスタイル「OK!」マガジンの日本公式WEBマガジン「OK!JAPAN」
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今回の『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』に登場するダニエル・クレイグ(Daniel Craig)は、“残酷さと繊細さ”を織りなす新たなジェームズ・ボンドの魅力を観客に訴えかけている。

OK! インタビュー☆ダニエル・クレイグ:『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』 Vol.4

「誰もが知るボンドを演じるには全身全霊をかけて役になりきることしかないんだ。」と語る、今回“ジェームズ・ボンド”を演じて5作目となるダニエル・クレイグ。

━━『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』(原題:Knives Out)の続編があるとしたら、再び出演したいと思うかについて。

もちろん、光栄なことだと思って喜んで! ライアン・ジョンソンが脚本を書いて監督を務める作品だったら、何でも引き受けてしまうね。彼の作品を演じることには、無上の喜びを感じるんだ。毎回その満足を目指して仕事をしようとしているのは、誰でも同じではないかと思っているけれど、それは本当に滅多にないチャンスなんだよね。でも、その満足感が素晴らしい映画を作る原動力だと思うし、そういう機会を手に入れることができたとしたら、それはそれで本当に最高だよね。

━━子供の頃から夢だった役者になることへの努力について。

芝居をすることは僕の生涯を掛けての夢なんだ。子供の頃から芝居が好きだったらしく、9歳か10歳の頃から常に熱心に映画を見ていたし、機会があれば足しげく映画館に通うような少年時代を送っているんだ。小さい頃から劇場に連れて行ってもらって、たくさんの芝居を鑑賞することができたのは本当に幸運だったし、今でもあの当時の記憶が僕の胸の内に焼き付いて、決して忘れることができないんだ。

━━16歳で家を離れて、一人立ちしたことについて。

1985年という不況の真っただ中の年に、僕はチェスター(Chester)(リバプール:Liverpool)を離れたんだ。母は僕が家を出たのは16歳か17歳のときだと言っているけれど、あれは確実に僕が16歳のときで、その年の夏はロンドンで過ごしたことを覚えているよ。その当時はロンドン北部、西部と、追い出されるまで転々と知り合いの家に移り住みながら、ロンドンのナショナル・ユース・シアター(National Youth Theatre)に通って演技の勉強をしていたのだけれど、家にはお金がなくてね。

でも、そんな中でも母はなけなしのお金をかき集めて、確か数百ポンドの現金を渡してくれたんだ。いろいろと助けてくれる人もいたし、何とか色々な物をかき集めて生活はできたけれど、今振り返ってみると恐ろしい話だと思うこともあるよ。学校の勉強は好きではなかったし、学びたいと思うこともなかったしね。僕が芝居をしたいと思う気持ちを知っていた母は、リバプールでは何もできないと思って、優しくひと押しするように僕をロンドンに送り出してくれたんだ。

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━━今までの人生でベストな演技のアドバイスを受けた経験について。

“リラックスすることを学びなさい”の一言!(笑) あのときは、とにかくキャリアを積むことに一生懸命になり過ぎて、最初から緊張のしっぱなしという状態だったしね。僕は、オーディションを受けるときも、芝居をしているときも、いつも自分に自信がない臆病者だったと思うよ。とにかく、神経過敏症というか、芝居をしている最中に自分のセリフを忘れてしまうこともあったんだ。

1996年にイギリスのテレビシリーズ番組『アワー・フレンズ・イン・ザ・ノース』(原題:Our Friends in the North)に出演しているときも、僕と一緒に出演していた仲間たちが“落ち着いて、落ち着いて”と励ましてくれたことを今でも覚えているよ。そして、先輩の1人が“もっとリラックスして、芝居を楽しむようにしなければだめだよ。”と言ってくれたのをきっかけに、その数ヶ月後に、やっと先輩が言っていた意味が分かるようになって、そこから役者としても人間としても成長することができるようになったと思っているんだ。

━━心地良い人生を手に入れることについて。

今の僕は幸せな人生を手に入れることができたと思っているけれど、実は30歳の半ばにどんな人間関係を持つことが自分を幸せにし、周りの人たちも幸せにできるのかと考えるようになったんだ。芝居にかけては常に突き動かされるような思いを抱いていたけれど、何本かの素晴らしい映画に出演するようになって、その僕の芝居に対する貪欲さが逆にちょっと変わった意味での自由を手に入れるためには大切な要素だと思うようになったんだ。

つまり、自分は自分で良いんだということに気付いて、そのとき“これだ、これが君の欲しいもので、君がいたい場所なんだ”と感じるようになったというわけ! そしてそれ以来、僕は本当の自分の人生を歩いていると思っているよ。

━━有名人であることのマイナス点について。

最初はショックの連続だったし、名声を手に入れることが何なのか、そして私生活を捨てなければならない一面もあることを知るまでに20年の歳月がかかったよ。行きたいと思ったところへも行けないし、今までの普通の生活を送ることができないということはかなり大きくて面倒な変化だったね。でも、悪いことばかりではないし、文句は言わないことにしているんだ。

━━これからの出演計画について。

これといって特に計画は立てていないよ。でもいつもたくさんの脚本が届いて、さまざまな役のオファーが入ってくるのは、本当に幸運だと思っているよ。唯一計画があるとすれば、それは善良で素晴らしい人たちと一緒に仕事をすることくらいのことかな!

━━若い頃にウェイターとして働いた経験が、演技の技術を磨いたのかについて。

最初はあまり実感がなかったけれど、確かにあの当時の僕の経験は芝居にも生きていると思うよ。ウェイターの仕事をすることは、真の人間の姿を見極める目を養うことにもつながると思うよ。

ほとんどのウェイターたちはきっと“人間の意地悪でダークな面を知った上で、それを無視して客に接することができる”ようになると思うよ。僕の数年のウェイター経験は、きっとどこかで僕の演技に磨きを掛けてくれているのではないかな? ボウタイのタキシード姿でカクテルを作ったりもできるしね。

━━マティーニの好みについて。(ごめんなさい。これだけはどうしても聞かなければならない質問なんです。)

もちろん、ほどよくシェイクされて、気が遠くなるほど冷えているマティーニ、ああ、それからマティーニはベリードライ(超辛口)に限るね。

Interview © WENN.com
Photos © WENN.com

END.

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